女だけど坊主にしました〜13年悩み続けた抜毛症が治るまでの話〜 第77話

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本編

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あとがき

※今回のあとがきは長文です※

2025年 夏。
幼少期のトラウマを描くためにプロットやネームを書き始めたあたりから、久しぶりにメンタルがヘラって来た。
作品を描くために、私は初めて有料のカウンセリングに行くことに。そこはいつも通っている心療内科に併設されていて、臨床心理士さんが1時間5000円でみっちり話を聞いてくれるやつ。
(※漫画で描いている抜毛症のカウンセリングとは別)

「今 ネットに漫画を描いていて、過去の辛かったことを描かなきゃいけなくて、思い出すのが辛いんです」
父親や兄がかまってくれなかったこととか、母がべったりで感情的で私を感情の掃き溜めにしてきたこととか、とにかく洗いざらい話した。

『はなさんが大人になってからお母さんに当時のことを話したことがありますか?』と心理士さんに聞かれる。
「はい。20代初めに伝えました。当時はつらかったとか。そしたら母は謝ってくれました。」と答えた。

心理士さん
『そうですか。ではお父さんやお兄さんに伝えたことはありますか?』

私「…ありません」

『伝えられそうですか?』

「…そんなこと!できません!!!」
その瞬間、私はせきを切ったように泣き出した。
そんな恥ずかしいこと。もう30歳なのに「昔かまってくれなくて悲しかった」なんて。言えない!!
さらに、そんな気持ちのひとつもありのままに伝えられない関係の希薄さに、また悲しくなって泣き出してしまったのだ。

* * *

時は過ぎ。2025年12月。
私は母と喧嘩した。
喧嘩というか、私がブチ切れた。

遡ること11月。母と父が実家から県外に住んでいる私に会いにきてくれた。
父と会うのは久しぶりだったので、私は3人で観光地をまわったり、食事をしたり精いっぱいもてなした。

すると数日後。
母から電話があった。出ると、早々に怒鳴られた。
聞くと私が父にばかり優しくしたのでへそを曲げたらしい。
詳細は長くなるので省くが、言ってはいけないラインを超える言葉を母は私に吐き続けた。
私は激怒した。激怒しながらもなぜこんなに激怒したか、どれだけあなたの発言が私を傷つけたかコンコンと説明をした。即座に母は口だけで謝ってきた。でも私は知っている。こんな説明や解説も母には届いていないと。
ただ、娘の怒りを買ってしまった。というところで理解が止まっているのだ。
母は反省なんてしないんだ。昔から知ってるよ。

「あなたはいつも私に怒りや不満をぶつけている。小さい頃から。私にばかり。兄にもぶつければ?なんで私ばかりなの?」頭に血が昇りながら母に聞いた。
『だって、はなちゃんの方が言いやすいから…』もう、黙れよ。
私は電話を切った。

怒りは収まらず、私は弾みで兄にラインを送る。
今度 電話したいことがあると。
母は私が知る限り兄にはそういう女の汚い面を見せていない。
なぜ私ばかり母の感情のサンドバッグにならなきゃいかんのだ。

数日後、兄と電話をした。
普段 兄に電話なんかかけないから、何ごとかとうっすら兄の緊張が伝わる。

「実は、この前パパとママがこっちに来たんだけどね…」といちから説明しようとしたらもう泣いていた。泣くつもりなんかなかったのに。兄に泣くところを見せるなんて私が小学生の時以来見せてないのに。
恥ずかしい…!恥ずかしさと話したくても言葉が出てこないことで軽くパニックになってしまった。

『大丈夫だよ、ゆっくりでいいよ。待ってるから』
兄から思わず優しい言葉が送られてきた。

私は別の意味で泣きそうになった。
ようやく落ち着いたので、私はことの顛末を話す。

『そうなんだ。ママってはなちゃんにはそういう感じなんだね。知らなかった。』
『はなちゃんにばかりごめんね』
もう20年近く まともに兄妹らしい会話をしなかったのに。なんで私が欲しい言葉がわかるんだ。

私はまた弾みで言いました。
心理士さんに聞かれ「言えない!」と叫んだあの言葉を。
「本当は私、〇〇(兄の名前)と話がしたかったの。小さい時から、寂しかったの…!」

『じゃあ今から話そうよ』

えっ?まさかノータイムでそんな言葉が来るなんて思いもしなかった。

『今度、二人で飲み行こうよ。』「う、うん」

* * *

それから2週間後。
地元の駅で初めて兄妹二人で飲んだんだ。

たった2時間弱だったけど、今までの寂しかった気持ちやどこか恨んでいたような気持ちが一気に融解した。
兄に対するぐちゃぐちゃで後ろ汚い気持ちが、たった2時間で成仏してしまったんだ。

私はその日 実家に泊まらず、新幹線で家に帰った。
新幹線と終電に揺られながら、私は泣かないように目を充血させていた。(いやどんだけ泣くねん)

20年越しに兄に対するわだかまりが解けた解放感。

そしてこの20年。なぜもっと早く兄と話せなかったんだろうという後悔。
もっと早く話せていれば、もっと早い段階で兄のことを好きになれたのに。

でも10代も20代も私は仕事や恋愛でぐちゃぐちゃだった。(特に恋愛)
きっと今がベストなタイミングなんだろう。

兄は話せば話すほどナイスガイなのに、検討外れに恨み続けたこの20年は本当にもったいなかった。

でも今日話せたから。
残りの50年は兄を好きでいれる。
その安心感で私の涙腺はもうだめだ。電車で泣いたわ。

人を恨み続けるのは、予想以上に心に負担をかける。本当にしんどいんだよ。
でももうそれが一つやめられるだけで、私はまた一歩、幸せになった。
幸せになったんだよ。

* * *

最後に。

兄との会話の中で衝撃的だったことがある。

それは私が生まれる前や生まれてまもない頃。
母は小学生だった兄にも父の悪口を言っていたのだ。
否定したり、言い返しても怒られるので、兄はそのうち相槌だけ打つようになったらしい。

「ママを恨んでないの?」と私が聞くと『全然』とあっけらかんに答えた。
おそらく兄は人間になって7周目くらいの人生なのだろう。人間が出来てる。

私は1か2周目くらいなので全然ママのことが許せないよ。少なくとも今は。

兄と距離を感じるようになって20年。
ようやく雪解けだ。

神様。もしくはサンタクロース殿。
今までで最高のクリスマスプレゼントだよ。

ありがとう。

 

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